キャンドルの炎「剣道審査員の目」からの珠玉のアドバイス集です!
島野大洋師範)全日本剣道連盟常任理事
『審査員をひきつける身構え、心構えができているか』 『捨て身で打』など 

姿勢・態度といえば、斉藤正利先生の美しさは今でも目に焼きついています
大木がすらっと伸びているようなお姿で稽古着姿がとても似合いました。気品に満ち溢れている、という表現になりますが、竹刀を手にした構えは寸分の隙もありませんでした。
稽古をお願いすると祖父と孫のような年齢差ですので、ひたすら掛かるだけです。レベルに雲泥の差があるので合気になどなれるはずがない。打ち込み、掛かり稽古ばかりでしたが、この稽古が剣道の基礎を作り上げたと思います・・・
初太刀一本に千本の価値あり』と常に初太刀という気持ちが大切。 もし、初太刀が不十分な場合、さらに初太刀、初太刀と気を緩めずに求めていく気持ちが大切です。 これには元立ちが常に縁を切らず、応じたら瞬時に技を出し、常に気持ちを相手に集中することです。 元立ちの姿勢は掛かり手にすぐに反応します。攻めが厳しければ緊張し、緩めれば弛緩してしまうものです。

本来、稽古とは短いものでした。かつて中山博道先生は一回の稽古ですべての門弟と二回稽古したといわれています、次々と掛かり手の息をあげさせていたのでしょう。
八段審査を控えた一年ほど前、私は息を上げる稽古を心がけました。 年齢を経るにしたがって衰えるのはからだのキレです。現在、昇段審査は同年齢で立ち会うよう配慮されていますので、からだや技のキレを身に付けるころが相手と差をつける近道ではないかと感じています。

「島野さん、打たない稽古をしてみなさい。意外と難しいですよ・・・」ある時、森島健男先生から頂いたお言葉です。「打たない稽古」を実践するようになり、間合いというものを大いに勉強させていただきました。

打ちたい、打たれたくないは、ある種、人間の本能です。しかし、打たれることを恐れない心は、稽古を通して作り上げることが可能で、恐れない心構えが心気力一致の剣道につながるのではないでしょうか。
神道無念流では「剣は手に従い、手は心に従い、心は法に従い、法は神に従う」と記しています。 神とは自然の理法です。水の流れにたとえると、岩に当たりスーッとよどみなく流れる様と同じです。
心の柱は『無心』を最高の境地と位置づけていますが、打たれることを恐れない心境が無心といえるかも知れません。

堀口清先生は「構えの隙を心で補い、心の隙を構えで守る」と言われましたが、これは打たれることを恐れない心につながると思います。 昇段審査というテーマに戻るならば、『捨て身で打つ』ことです。
「打たれたくない」という雑念に惑わされることなく、相手に集中するのです。 自分が打たれることを考える余裕がなくなるほど相手を打つことに集中すれば、いわゆる四病(驚懼疑惑)を取り去ることにつながると思います。(抜粋引用おわり)