「居眠り磐音江戸双紙」の31巻目と32巻目である、「更衣ノ鷹(きさらぎのたか)」の上下巻を読み終えた。
 昨年後半、筆者自身が上巻を書き終えた時点で、「ヨーロッパ旅行をして英気を養い、帰国後大きな山場となる下巻を仕上げた」とあとがきにあった。

史実にある家基の死に絡んで、磐音ほか今までに登場した人物が綾を成し、息も付かせず物語は進んでゆく。次の徳川幕府の将軍として期待されていた家基の死は歴史にある通りだが、磐音他がどのようにこれに絡むのかというスリリングな展開は、まだ読まれていない方の楽しみを奪うため、当然書かない。

シリーズ、第一巻目「陽炎の辻」で、佐伯氏は読者である私の心を鷲づかみにしてその世界に引きずり込んでくれた。今回の上・下巻は、その時の感動に勝るとも劣らず「佐伯ワールド全開!」渾身の上下巻であった。

現在、文庫本の帯に類型1000万部売れたと書いてある。 
「更衣ノ鷹」(下巻)に後書きがあり、50巻で完結とどこぞで発言した、と佐伯氏は吐露している。 あと、18巻か・・・今まで、だいたい2ヶ月から3ヶ月に1冊が上梓される。ということは筆が進んでも3年、思慮・推敲の時が費やされれば4年は楽しめるか・・・

お正月の元旦「“職人”小説家 〜「陽炎の辻」・佐伯泰英」という番組を見た。
佐伯氏の★自宅は熱海、読書好きの児玉清がインタビュー。
現在、「居眠り」も含めて7シリーズの執筆がここから産み出され、庶民にすぐに手の出る「文庫書き下ろし」となるわけである。「私は職人作家だ!」あえてそう自負する佐伯氏は素晴らしい。理屈を捏ねる、どこぞのへな猪口作家より私は遥かに好きだ。

佐伯氏が文壇に登場したのは、1999年。
私自身が人の紹介で「居眠り磐音江戸双紙」を読み始めたのが2006年。
当時発刊されていた20巻ほどは、1ヶ月も経たないうちに読み終えた。
その後は書店に新しい巻が並ぶと、なんの躊躇も無く購入することが続いている。
他のシリーズも読もうかと思い「密命」の最初の巻を買ったが、特段の理由無く放置したままである。

私には「池波正太郎」の『剣客商売』『鬼平犯科帳』という、まだ未踏峰?の、燦然と輝く山々がある。
特に『剣客商売』の秋山小兵衛は無外流の達人である老剣客、初登場時は59歳。以降75歳までの姿が描かれるということで、老いても盛んで小粋な爺さんに何とか自らをなぞらえたいと、勝手な妄想を抱いているが、これは余談。

ネットに2009年に行なった佐伯氏へのインタビューあり。
『銀座のクラブにお酒飲みに行くとか、海外にゴルフ行くとか、釣りをやるとか全く無縁の人間で、「無趣味が趣味で、仕事が道楽」みたいなところがあるからね』

仕事が道楽という、なんと、羨ましい!
また、映像になった功罪にも言及しておられる。そう多くの人が「坂崎磐音」が「山本磐音」になり、「おこん」が「中越おこん」に重なってしまうという読者、私も含め沢山いるはず。私の場合、二人の俳優さんとも好印象で、それほど小説のイメージは崩れていないからありがたい。

おまけ★熱海の自宅購入の由来・・・続きを読むに引用元
佐伯泰英さん:岩波ゆかりの「惜櫟荘」修復へ 戦前の名建築守りたい

 作家の佐伯泰英さん(67)が、岩波書店の創業者である岩波茂雄の静岡県熱海市の別荘「惜櫟荘(せきれきそう)」を譲り受け、今春から私財を投じて本格的な修復保全に取りかかる。約100平方メートルの数寄屋造りの平屋は、近代を代表する建築家で、戦後再建した歌舞伎座の設計などで知られる吉田五十八(いそや)の最高傑作のひとつ。太平洋戦争直前の1941年9月に完成し、戦中戦後にかけ多くの文化人が心を休めた貴重な文化遺産だが、近年はほとんど使われていなかった。修復工事を前に惜櫟荘を訪ねた。

 別荘との縁は、たまたま佐伯さんの熱海の仕事場が惜櫟荘の近くだったこと。数年前に引き受け手を探していると聞き、「開発業者の手に渡ったら、文化遺産として残らないのでは」と危惧(きぐ)していた。別荘の敷地を含む地続きの土地など約2900平方メートルを一昨年購入した。

玄関奥の和室のふすまを開けると、視界がぱっと開け、息をのんだ。開け放った庭先の彼方に青い海が広がり、初島が望める。温泉街もそう遠くない一角だが、70年前から時間が止まっているかのようだ。

 庭中央の2本のクヌギ(櫟)のうち、棒に支えられたほうがもとからある老木だ。岩波は「どの部屋からも海が眺められること」「樹木は一本も切らないこと」などを注文、吉田はそのすべてに応じた。「惜櫟荘」はこの逸話に由来する。

 「議会政治の父」と呼ばれた政治家、尾崎咢堂(行雄)はじめ、幸田露伴、高村光太郎、志賀直哉ら著名な文化人がここに招かれ、原稿を書いたり、温泉に入ってゆったりした時間を過ごした。『広辞苑』の編集作業が行われたのもこの場所。ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督は雨のスケッチをしていたという。

 「別荘をこのまま残すという選択もありました。でもそれでは、遠からず傷んだ部分から壊れてしまう。修復保全は現状を保ちつつ長く保存することが目的」と佐伯さん。建物をいったん解体し、地盤を整えたうえで、建築当時とそっくりに復元する。傷みの激しい浴室床など一部を除き「何もつけ足さず、何も削らない」方針という。復元には、吉田五十八の教え子の建築家、板垣元彬(もとよし)(69)さんや修復を手がけた棟梁(とうりょう)、数寄屋建築で定評のある水澤工務店などが協力する。

 「昨年は地質調査や修復のための設計図作成などでいつもとは違う神経を使う日々でした。娘と一緒に建築の勉強もし、発見もあった。時間も費用もかかりますが、楽しみながら、どんな形で社会還元できるかゆっくり考えていきたい。岩波茂雄さんは『惜櫟荘の主人』でしたが、私の場合は『惜櫟荘の番人』かな」

 岩波茂雄、吉田五十八という2人の天才の夢が、70年の時を経て、平成の大ベストセラー作家に引き継がれる。