駄句を綴った伏線これ、数日前にあり。
ある方と俳句の話になった。 その方は「中村草田男」から派生した句会に参加され7年ほどになるとか。

私「奇遇ですね、大学生のとき、一般教養で『文学』の先生が『中村草田男』でした」
そう伝えると、「それはすごい!」と急に俳句の話題で盛り上がった。

祖母が100歳で亡くなる直前、病院でほとんど体が動かず、書くこともできなくなった。
でも、ベッドで和歌を作り、父に口述筆記させ、田舎の町の官報に投稿を最後まで続けた。
「亡くなるまで、まったく惚けなかった、偉大な祖母である」
俳句と和歌、親戚みたいなものだと、私は思っているので、祖母の存在は、「俳句をいつかやってみよう」という、私の潜在意識としていつもあった。

さて「俳句とは何か?」・・・残念ながら、私に明確な意識は無い。

ある方が子規そして俳句について述べているくだりをあるサイトを発見・・・以下に引用

子規は「俳句分類」という方法で以前の作品を収集した結果、あまりにも同じような作品が繰り返されていることに気付き、それを「月並」とした。

知識による発想・使い慣れた語句の狭さ・流派的という同志意識などがそれをもたらしているとし、それらの俗調・繰り返し、結局頭で考えて作句からの解放として「写生」を提唱。

その路線でうまれた作品と認識している。それを原点としているということは、その延長線上に私の「俳句」の答があるということである。

 いずれにしろ、俳句を学び始めた頃に、子規のこの作品に触れ、この簡潔さ・平明さ・明瞭さ・印象の深さ・そこらにはない鮮やかさに感銘し、以後いろいろな時に、この作品を思ったり、迷えばここに戻ったりしての今日までである。

 子規に明治一八年作に次の作品がある。
  雪ふりや棟の白猫声ばかり

 「古今和歌集」凡河内躬恒作
  心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

などと同趣向である。子規もこの辺りから出発して、やがて「古今」を否定し「写生」に至りつくのである。原点の大切さを思い返している。 
  出典:『俳句稿巻一』明治三二年作(豊田 都峰)