子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた、河東碧梧桐に対して、虚子は大正2年の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。

また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐(虚子と一緒に暮らしたほどの大親友だったが)と激しく対立した。

子規の後継者である高浜虚子、昭和2年(1927年)、「写生」(写実)の主張も受け継ぎ、俳句こそは「花鳥諷詠」「客観写生」の詩であるという理念を掲げるに至るわけである。

<★花鳥諷詠→俳句は、四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。虚子の造語>

以上はWikipediaなどに記されたこと

中年探偵団は、正岡子規で調べたごとく「虚子」の句碑も探してみた。

「花鳥諷詠」の理念を掲げた「高浜虚子」は鎌倉に50年住んだ。
だから、鎌倉を中心に神奈川県に、さぞ沢山の句碑があろだろうと予想して。 
ところが神奈川県に句碑の数は私の予想を大幅に下回った。

出身県の愛媛より少ないのは当然として、疎開中に4年間だけ暮らした長野県や、
福岡県より少ないのはいったいどのような理由だろう?
<「高浜虚子文学館」のサイトに全国版の句碑情報を参照>

鴨の嘴よりたらたらと春の泥 (横浜市 三渓園 池畔)

霧いかに深くとも嵐強くとも (横須賀市鴨居 観音崎灯台)

金色の涼しき法の光かな (川崎市川崎区大師町 平間寺境内)

宗賀神社曽我村役場梅の中 (小田原市曽我谷津 城前寺境内)

永き日のわれらが為めの観世音 (鎌倉市長谷 長谷寺境内)

波音の由比ケ浜より初電車 (鎌倉市由比が浜 旧虚子庵脇)

白牡丹といふといへども紅ほのか (鎌倉市二階堂 鎌倉虚子立子記念館 内庭)

花の旅いつもの如く連立ちて (鎌倉市二階堂 瑞泉寺 武原家墓地)

鎌倉を驚かしたる余寒あり (鎌倉市二階堂 鎌倉虚子立子記念館 内庭)

山国の蝶を荒しと思はずや (川崎市麻生区1-31-1 高石神社境内)


Wikipediaに「虚子」の代表作として次の3句が挙げられていた。

遠山に日の当たりたる枯野かな

春風や闘志抱きて丘に立つ

去年今年貫く棒の如きもの

<虚子の作品は2009年12月31日に著作権が消滅し、2010年1月1日よりパブリックドメイン>

「雪見酒 花鳥風月 われの友」 以上