古今東西、何人たりとも避け得ないこと、それは「死ぬ」ということですね。

その、ご逝去を多くの人がほんとうに悼んでくれるのは、それほどにはないことだろう。 
この細谷さんの逝去に関して、日経新聞の一記者がその訃報悼むという記事があり、興味深かったので、続きを読むに抜粋引用した。やはり、「無私の人であった」(日経記者の弁)そこが一番重要なところでしょうね。

亡くなった方に対する評価は「贔屓してくれる人も多く、惜しい人をなくした」と思われるケースと、「(内心)とうとうくたばったかやれやれ」とおもわれる場合とが、相半ばするのが世間相場と思う? また、人の評価は理屈で判断するのではなく、好き嫌いにより決めてしまう方が圧倒的に多い。
だから、(細谷さんのように)立派に生きたと評価がなされるのは極めて少数派というのは当然のことなのである。

池波正太郎「剣客商売」のことばを借りれば・・・

『そもそも人間という生きものが、矛盾を極めている。 秋山父子のように、剣の修行をきわめたものには、それが実によくわかる。 肉体の機能と頭脳のはたらきが一つに溶け合ってくれればよいのだが、なまじ、他の生物とちがって頭脳がすぐれているだけに、動物としての機能が頭脳によって制御されたり、または反対に、肉体の本能が頭脳に錯覚を起こさせたりする。 「まだしも野獣のほうが、正直にできているのさ」などと、父の小兵衛が冗談めかしていうのだ。 「獣は、つまらぬこと、よけいなことを考えぬ。だから人よりも、むしろ、暮らしがととのっているのじゃよ」 小兵衛にいわせると、矛盾だらけの人間が造った世の中も、これまた矛盾だらけということになる』

私は、肉体の機能と頭脳の働きがアンバランスな、並の人の代表である! 細谷さんは国鉄の改革という修行を通じて、道を極めたということで、肉体の機能(行動と理解しよう)と頭脳の働きに矛盾がなかったのでありましょう! 合掌
最後まで戦い続けた細谷さん」<日経新聞よりの引用>
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK06008_W2A101C1000000/
りそなホールディングス(HD)会長の細谷英二さんは、常に積極的に情報を発信し、誠実に取材に応じる姿勢を貫いた。お礼の意を込めて、一記者から見た細谷さん像を書いておきたい。
細谷さんと交流がある人に共通する細谷評は「無私の人」接していると「我が身を捨てる覚悟で、りそな再建に取り組んでいるのだろう」と思わせる何かがあり、知らず知らずのうちに「細谷応援団」の一員になっている。
インタビューでは理路整然とよどみなく語り、そのまま文章にしても「起承転結」ができている。経済だけでなく政治や社会の問題まで目配りを忘れない。
細谷さんに、りそなトップへの転身を勧めたのは、当時、政府の経済財政諮問会議の民間議員だった牛尾治朗・ウシオ電機会長。牛尾さんも「マスコミの批判の対象になりがちな経営者が多い中で、細谷さんは、みなさんから応援されている珍しい存在だ」と目を細めていた。(2012/11/6)

フェイスブックはビジネスを変える」 (細谷英二氏の経営者ブログ) より引用
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0600R_W2A200C1000000/
 今、注目しているのがフェイスブックです。「アラブの春」という民主化運動に拍車を掛けたのもフェイスブックなどのSNS(交流サイト)です。ソーシャルメディアやスマートフォンなどの新しいICT(情報通信技術)を利用して、顧客は有益な情報を探し、商品・サービスの評判に反応するようになっています。企業にとっても本物の顧客との双方向コミュニケーションのツールができた意味は大きく、これまでのビジネスモデルを変えるのではないかと思います。成功しているビジネスモデルでも、フェイスブックを通じて顧客の声を取り入れれば、さらに飛躍できる可能性があります。これからはICT抜きのマーケティングやビジネスモデルは成り立ちません。
しかし、情報量は増えても、それを処理する人間の能力は、極論すれば、ソクラテスや孔子の時代から変わっていません・・・・高齢化社会では、わかりやすさ、安心、美しさ、という3つのキーワードがサービスの基本になる気がします。(2012/2/8)
合掌