★生まれ変わりました★ 

☆過去の呪縛から解放され "生まれ変わりました" 30歳(前世通算80歳)で心身ともにすこやかでありたいと願う!「転生記念日: 2013.9.2.」☆ 晩成(雅号) 敬白

旅行 Trip

醍醐寺へ

昨日から京都!
五月の連休は、義父母とともに京都の小旅行が恒例となった。
両親の年齢も考慮して、無理せず、見学は1ヶ寺のみ。
今年は「醍醐寺」 
下醍醐のみだが、十分堪能!

ここにはお宝がたくさんあり、昨日だけで「国宝」15「重要文化財」44を見学。
ところが驚く無かれ、霊宝館には国宝・重文が四万点もあるという。

三宝院の内部(庭と部屋など)が撮影禁止というのが、ちょっと残念。
でも、その他にも素晴らしい撮影ポイントが多く、楽しく撮りまくった!

本人は満足して自画自賛・・・昨晩「秀作集スライド」!に整理したので皆様にご披露!

さーて、これから朝の散歩。 「蛤御門」を入り「御所」を散策・・・同志社大学の建造物を見学! まだ、みんな寝ているので、(小声で)いってきます・・・
部屋から外を確認せずロビーへ降りてみると、雨。しばらく様子を伺ったが、散歩は断念した。
来年にお預けだ。

'08 DEC 帰省ドライブ記録

200812帰省走行記録<あくまでも自分のための記録>
愛車は絶好調、今回も快適な帰省ドライブでした。

山手線 ご隠居日誌

今朝は有楽町から乗車、席に座れた。
隣合わせたのは幸運にも女性。
もちろん、初対面のお嬢さんである。

質問したい衝動に駆られた。彼女に興味を持ったから・・・
もちろん声を掛けて良いかどうか、しばし躊躇・思案し、自問自答。 
世はクレーマー/セクハラ容疑が頻発の時代。
声を掛けるだけでも「痴漢です」と通報され「御用」となるリスクあり。

<自問自答>
(若いのに日経新聞えらく熱心に読んでるね、どんな娘だろう)
(ほう、めずらしく、耳からヘッドフォンもぶら下げていない)
(上品なマニュキュアか、ペデュキュアはしていないな)
(まだ勤めを始めたばかりかな?清潔感があり初々しいね)
・・・

ところが、彼女の行動・姿は、十分な自問自答を終える前に、
自然と私の一言を誘発する魅力があった!

「偉いですね、日経新聞熱心に読んで」
『・・・?』
「あっ!ごめんなさいね、変なおじさんが見知らぬ方に声をかけて」
『いえ・・・』
「耳からぶら下げていないし(注)、熱心に日経新聞読んでられたから、
 失礼と思ったんですが、ついお声をかけてしまいました。ごめんなさいね」
(注)<iPod他から音楽をヘッドフォンで通勤時聴くのが若者に多いため、仕草で示しながら>
『(笑みを浮かべながら)私、電車の中で聴くの嫌いなんです』

「へー!(珍しいと、驚の表情)でも日経熱心に読んでるね、面白い?」
『(日経新聞は)上司が記事に関し質問するんです』
『でもわからないところも多く、しょっちゅう思考が止ります(笑み)』


「まだ、会社勤めは始まったばかり」
『ええ、今年の四月から』
「そう、じゃあ平成生まれ」
『いいえ、昭和の最後ですよ』

自然な会話を交換し、逆に質問された。
『失礼ですが、どんなお仕事されているんですか』
「いや〜背広ネクタイ姿ですが、僕は定年退職したご隠居ですよ」
「毎日、山手線一周、こんな会話を趣味として、楽しみにしています!」
『(うそでしょうという感じで笑みを浮かべ)そうですか』
『服装ちゃんとされているので、会社の幹部の方かと思いました』
『山手線の観察、なかなか独創的で素敵なご趣味だと思います』
「そうですか(笑)でもひとつ間違うとお叱りを受けますよ(笑)」

『いや、お声をかけていただきありがとうございました。次の原宿で降ります』
「お邪魔しました、上司の質問へ今朝は大丈夫かな? 頑張ってね」
彼女は微笑み、軽く会釈して恵比寿で降りた・・・・

<有楽町→原宿>間、JR山手線外回りで交わされた会話。

これは実話であるが、私の話ではない。
ある先輩(還暦を過ぎた)が昨日実際に体験した話。
直接見聞したわけではないが、先輩の話を忠実に表現したつもり。
先輩は会社勤めを続けているし、毎日これを趣味にしているわけではない。
「本当に隠居したら毎日のんな趣味を持てれば楽しいね」
昨晩、一献傾けながら話は盛り上がった・・・

2008京都小旅行

普段は生活をともにしていない、妻の両親を伴い京都へ小旅行。
新緑の季節に京都を訪問するのは三年連続となる。
宿泊先は御所西側のブライトンホテル。
喧騒を避けることができ、我々のお気に入り。

両親(七十代)の年齢を考え1泊2日でのんびり過ごす。
一日に1ヶ所のみの寺社を訪問し、これに何らかのイベントを加える。

【今年のスケジュール】
<一日目> (午前)東福寺  (午後)祇園散策
<二日目> (午前)曼殊院  (午後)鴨川をどり

今回の旅行での重大な変化!
義母がカメラマン(ウーマン)に大変身。
「被写体を求め、極めてアクティブな行動をとる」
私は当然のごとくデジカメは人生の重要な一部。
最近は妻もソニーの愛器を携え、3人が撮りまくる。
そうすると、義父はなんとも手持ち無沙汰・・・

旅行から帰り「父上も(デジカメ)やってみます?!」
と誘いを掛けた。(過去にも何度か誘ったが失敗していた)

「実は秘かにやろうかと考えていた」との発言。
義母も妻もびっくり。
さらに「どうせなら、一眼レフのデジカメがいい」という。

ほう・・・それでは早速、明日からオープンの
「ヤマダ電機へ行こう!」ということになりました。

ヤマダへ行く前日。
一眼レフの特長、コンパクトカメラの長所・短所。
さらに主要メーカーの製品特性など、小生の知識からお話した。
 
そして、ヤマダ電機にて義父は
「一眼レフは重いなあ、最初は手軽なもので練習しよう」
ということで、私と同じニコンのコンパクトデジカメに落ち着きました。

ここに家族全員がカメラマンという快挙が実現したわけでございます!

さてさて、私が義母の運動不足解消を考え
「絵手紙」そして「デジカメ」を勧めたこと発端でした。
が、事態はさらに意外な方向に展開となりました。

次の家族旅行は、四人で「パシャ・パシャ・パシャ・パシャ」
すごいことになりそうです。
いずれにしても、共通の趣味を持つことはほんとうに喜ばしいことです。

めでたし、めでたし。 

愛車快調

帰省のロングドライブ! 3年目の愛車はますます絶好調。
昨日4日は名古屋あたりから渋滞が始まり、結局660舛烹隠飴間かかった。
が、燃費はリッターおおむね12キロを維持した。この車としたはりっぱなものだ20080104走行記録

コムソッチプ

コムソッチプ 11月のソウル小旅行で発見したお店。
明洞(ミョンドン)を散策しながら、自らの嗅覚と審美眼(?)で発掘!
「当り」でした。

焼肉店へ行ったときの定番で
カルビー
プルコギ
石焼ビビンバ
冷麺

をオーダーしようとしたのだが、プルコギは二人前からしかオーダーできずとのことでカルビはあきらめた。 石焼ビビンバが期待はずれであったが、後はおいしかった。
また一軒レパートリーが増えました! なんか食べることばかりだな!
今も会社近くのネットが使える「WIRED CAFE」で昼食しながら書いている・・・

又来亭

韓国旅行の続編である。
またもいやしく、食べるところの情報。
今回の旅行で発見した「又来亭
お店は中心街にあるといってもいいが、
周りは機械系の問屋街やソウルで一番古い広蔵市場などがある。日本人はちょっと行きづらいところか。★広蔵市場は大韓帝国時代の1905年7月5日、漢城府(現在のソウル市)の許可を得てつくられた国内最初の公設市場。

「又来亭」のこと。店内は清潔で、お客さんも圧倒的に現地の人たちが多い。
今回、ガイドブックを見て行ったが、詳細をリンクを張った
グルメガイドで確認すると

『南北分断後の今、故郷を失った北朝鮮の失郷者と
 その子孫の社交場にもなっているこの「又来屋」』

とあり、お金持ち家族が自家用車で来店し「食事と会話」を楽しんでいる風景そこかしこにあった。(ことばがわからないので、しぐさや顔の表情、メンバーからの類推だが(笑)

価格は気軽に行くにはちょっと高いかな。 確かにこぎれいな人たちが多く、裕福な感じの人が多かった。
伝統平壌式水冷麺 8,500ウォン
生カルビ(180g) 33,000ウォン
プルコギ(180g) 25,000ウォン

百済参鶏湯

200711百済参鶏湯価格表今月、韓国へ夫婦で小旅行に出かけた。
まあ、グルメツアーというところか・・・
かならずソウルで行くお店がある。

百済参鶏湯」 ペクチェサムゲタン(백제삼계탕)

お店の名前にあるとおり蔘鷄湯の専門店。30年余りの営業歴があるそうだが、私達はほぼ10年前から、ソウルへ行った時は必ず一食はここである。

行き始めた頃、定番の「人参鶏湯」は7000ウォン(当時のレートで700円!)
現在は写真のごとく11000ウォンである。
ウォンが強くなっているので、円換算するとほぼ倍の値段となった。
それでも日本で食べる、参鶏湯より圧倒的に安いと思う。

ここに行くことは夫婦で暗黙の了解事項!
旅行中、一番体調のよろしく空腹時を見計らって、
お昼前にブランチとして利用することが多い。
その他のことはリンクを張ったグルメガイドに詳細があるので、省略。

ちなみにソウル旅行はいつもフリープランを選び、ホテルはロッテ指定。
市内は地下鉄を利用して自由に動き回る。これが私達流。
手軽に異国感覚を味わうのに、最適である。

富士屋 泊

過日、歴史ある富士屋ホテルに泊まる

 創業者山口仙之助 明治4年、二十歳の時、青雲の志を胸に米国に渡ったが、こと志と違い辛酸を味わう。苦労の末貯えた資金で、将来は牧畜事業がわが国に有益であると信じて、7頭の種牛を買い入れて帰国。
 慶応義塾に入学し、そこで福沢諭吉先生は国際観光の重要性を説き、外国人向けのホテルを作りなさいとアドバイスしたそうです。山口氏は牛の売却で得た資金を元にホテル業を決意したとのこと・・・富士屋ホテルの歴史より

 明治の時代、富士屋ホテルまでまともな道路がなく、人力車も宮ノ下まで急坂を二人の人夫で引いたとのこと。 そこで、大井川の渡しではないが「チェア」なるものが発案され、いすを括り付け4人から6人の人夫が担いで登ったそうです。宮ノ下から箱根を一周までするチェアまで、70ぐらいでき、300人もの人夫が毎朝ホテル本館の周りを取り巻いていたそうです。

商売も外国人は富士屋、日本人は奈良屋(これが当時人気を二分していたとのこと)へと、熾烈な外国人争奪戦のあと、明治の終わりごろ、そのように落ち着いたようである。
 大正初めのクリスマスパーティーと題された古い写真群が館内にありましたが、見事に外国人ばかりですね。

 同類のクラシックホテル仲間
奈良ホテル/日光金谷ホテル/軽井沢万平ホテル/東京ステーションホテル/ホテルニューグランド

さらに、余談ですが富士屋ホテルの二代目山口正造は金谷ホテル(創業は金谷ホテルが先輩)から婿入りしているんですね。歴史を感じるなあ・・・

 富士屋ホテルも買収されていまや国際興業グループ、そして国際興業自体が外国資本のサポートで再建途上にある、ゆえにかつての名声も今は・・・でも、私にとっては歴史博物館のようで、あちこち巡回し真に楽しく過ごしました!

庭の梅

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