★生まれ変わりました★ 

☆過去の呪縛から解放され "生まれ変わりました" 30歳(前世通算80歳)で心身ともにすこやかでありたいと願う!「転生記念日: 2013.9.2.」☆ 晩成(雅号) 敬白

俳句

俳句と「句碑」

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」 子規といえば、この句を思い浮かべる。

ふと、句碑に刻まれた作品はその地にあることだけで、句の境地がわかりやすいのではと思い、探してみた。

色里や 十歩はなれて 秋の風」(宝厳寺)
明治28年10月、正岡子規は夏目漱石と一緒に、道後への吟行を行い、宝厳寺を訪れている。寺には、子規が詠んだ「色里や 十歩はなれて 秋の風」の句碑がある。一方、漱石はのちに、この辺りのことを小説「坊ちゃん」の中で、”北へ登って町はずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当たりがお寺で、左右が貸し座敷である。山門の中に色町があるなんて、これまでに聞いたことがない現象だ。”

春や昔十五万石の城下かな」(JR松山駅前)
日清戦争が始まり、記者として従軍した子規は、帰途、大喀血して須磨で療養後、松山へ戻った。そして、漱石がいる。
愚陀仏庵での同居生活が始まった。この時(明治28年)の帰省が、子規の最後の帰省となった。そのとき詠んだ「春や昔 十五万石の 城下哉」の句碑が、JR松山駅の前に建っている。

十一人 一人になりて 秋の暮」(三津浜港)
明治28年、子規が最後の上京したときも、久保田回漕店に宿泊しており、このとき見送りにきた「松風会」のメンバーら10人が帰ってしまった後のさびしい心境を詠んだ「十一人 一人になりて 秋の暮」の句碑が、「きせんとゐや久保田」の碑のそばに建っている。

そのほか、探し出した句をいくつか・・・

松山や 秋より高き 天主閣

山吹も 菜の花も咲く 小庭哉

をとゝひの へちまの水も 取らざりき

風呂敷を ほどけば柿の ころげけり

柿くふも 今年ばかりと 思ひけり

紫の 蒲團に坐る 春日かな


正岡子規の功罪
<功>月並俳諧の陳腐を否定し、松尾芭蕉の詩情を高く評価。江戸期の文献を漁ってて忘れられていた与謝蕪村を発掘。
<功>ヨーロッパの自然主義の影響で写生・写実による現実密着型の生活詠を主張した。
<罪>俳諧の言葉遊びや修辞技巧を強く否定。連句(歌仙)に低い評価。

ただし、功績が遥かに勝っていることはだれもが認めるところ。

子規は後年、「俳句を作るは、明治20年、大原宗匠のもとに行きしを始めとす」「余が俳諧の師は、実に先生をもってはじめとす。しかして、今に至るまで他の師を得ず」と書きしるしているそうだ。 誰にでも師匠、その道へ導いてくれた人がいるものだ。

以上 Wikipediaなどより抜粋引用

駄句創作日誌(4)

初めての「駄句創作も」最後の季節である冬まで来てしまった。 ああ、恐ろしや!

<冬>
音消えて 足音だけの 凍みる夜 駄句支援画像

冬の蝿 よくぞ生きた りっぱだよ 駄句支援画像

冬の朝 ティーが刺さらず 穴探す 駄句支援画像

寒稽古 湯気が立ち上る 正座かな 駄句支援画像続きを読む

駄句創作日誌(3)

三日目は<秋>

<秋>
赤とんぼ 動いて止まって あら不思議 駄句支援写真

竹林の 風に誘われ 秋を知る 駄句支援写真

夕焼けを 背に受け小船は 帰り来る 駄句支援写真

夕焼けの 渓谷に蟻に似て 人の影
グランドキャニオンに立ったときの印象。 なんと自然が偉大で、人間がちっぽけな存在に見えたことか!駄句支援写真

駄句創作日誌(2)

昨日から始めた、小生の駄句創作日記、夏は沢山できました!

<夏>
五月晴れ 緑青競う お城かな
緑青あざやかなり、五月晴れの空と競う
駄句支援写真

五月雨に 緑青鮮やか 時の結晶
雨に生える 鎌倉大仏の緑青 800年の歴史の結晶なり
駄句支援写真

パター終え 夕日に伸びる 長い影
駄句支援写真

乙女から 虹を眺めて 水しぶき
ナイヤガラ滝の観光遊覧船「乙女号」で滝に近づくと、天気さえ良ければ滝に重なる虹が見える。駄句支援画像

カブトムシ 早起きしたら また会おう
駄句支援画像

脇見なく 足跡たどる 蟻見事
駄句支援画像

絶景も ちらりと見たら すぐ進め
すごい尾根、今にもどちらかに落ちそうだ! これじゃ絶景もゆっくり見る余裕はないか?駄句支援画像

まだある・・・続きを読む

駄句創作日誌(1)

正岡子規そして、高浜虚子に刺激され、駄句を連ねてみよう。
休みの日「心に浮かぶよしなしごと、そこはかとなくことばにした」
季語のことも多少考えたが、まずは作ることを優先。
始めると、あっという間に20句ほどできた。

そこで季節ごとに記録!
まず本日は「春」の句

素人ゆえ、解説か画像による手助けが、必要かと「寸評」「画像」を添えた。
「春」「夏」「秋」「冬」と、駄句を掲載。
気恥ずかしいので、定期訪問の皆さん、今日から入室禁止でござる(笑)

<春>
春暁の 水面を過ぎる 漁船あり
★過ぎる(よぎる)
早暁、キラキラと輝く水面に、沖に向かう漁船の姿、瀬戸の海を思い出す
駄句支援画像

桜咲き 思い出遥か 入学式
大学の入学式、折りしも学内の桜は満開、今は亡き母が付き添いできたが、距離を置き離れて歩いた!駄句支援画像

子規「写生」 → 虚子「花鳥諷詠」

 子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた、河東碧梧桐に対して、虚子は大正2年の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。

また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐(虚子と一緒に暮らしたほどの大親友だったが)と激しく対立した。

子規の後継者である高浜虚子、昭和2年(1927年)、「写生」(写実)の主張も受け継ぎ、俳句こそは「花鳥諷詠」「客観写生」の詩であるという理念を掲げるに至るわけである。

<★花鳥諷詠→俳句は、四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。虚子の造語>

以上はWikipediaなどに記されたこと

中年探偵団は、正岡子規で調べたごとく「虚子」の句碑も探してみた。

「花鳥諷詠」の理念を掲げた「高浜虚子」は鎌倉に50年住んだ。
だから、鎌倉を中心に神奈川県に、さぞ沢山の句碑があろだろうと予想して。 
ところが神奈川県に句碑の数は私の予想を大幅に下回った。

出身県の愛媛より少ないのは当然として、疎開中に4年間だけ暮らした長野県や、
福岡県より少ないのはいったいどのような理由だろう?
<「高浜虚子文学館」のサイトに全国版の句碑情報を参照>

鴨の嘴よりたらたらと春の泥 (横浜市 三渓園 池畔)

霧いかに深くとも嵐強くとも (横須賀市鴨居 観音崎灯台)

金色の涼しき法の光かな (川崎市川崎区大師町 平間寺境内)

宗賀神社曽我村役場梅の中 (小田原市曽我谷津 城前寺境内)

永き日のわれらが為めの観世音 (鎌倉市長谷 長谷寺境内)

波音の由比ケ浜より初電車 (鎌倉市由比が浜 旧虚子庵脇)

白牡丹といふといへども紅ほのか (鎌倉市二階堂 鎌倉虚子立子記念館 内庭)

花の旅いつもの如く連立ちて (鎌倉市二階堂 瑞泉寺 武原家墓地)

鎌倉を驚かしたる余寒あり (鎌倉市二階堂 鎌倉虚子立子記念館 内庭)

山国の蝶を荒しと思はずや (川崎市麻生区1-31-1 高石神社境内)


Wikipediaに「虚子」の代表作として次の3句が挙げられていた。

遠山に日の当たりたる枯野かな

春風や闘志抱きて丘に立つ

去年今年貫く棒の如きもの

<虚子の作品は2009年12月31日に著作権が消滅し、2010年1月1日よりパブリックドメイン>

「雪見酒 花鳥風月 われの友」 以上

「俳句」を勧められて・・・

駄句を綴った伏線これ、数日前にあり。
ある方と俳句の話になった。 その方は「中村草田男」から派生した句会に参加され7年ほどになるとか。

私「奇遇ですね、大学生のとき、一般教養で『文学』の先生が『中村草田男』でした」
そう伝えると、「それはすごい!」と急に俳句の話題で盛り上がった。

祖母が100歳で亡くなる直前、病院でほとんど体が動かず、書くこともできなくなった。
でも、ベッドで和歌を作り、父に口述筆記させ、田舎の町の官報に投稿を最後まで続けた。
「亡くなるまで、まったく惚けなかった、偉大な祖母である」
俳句と和歌、親戚みたいなものだと、私は思っているので、祖母の存在は、「俳句をいつかやってみよう」という、私の潜在意識としていつもあった。

さて「俳句とは何か?」・・・残念ながら、私に明確な意識は無い。

ある方が子規そして俳句について述べているくだりをあるサイトを発見・・・以下に引用

子規は「俳句分類」という方法で以前の作品を収集した結果、あまりにも同じような作品が繰り返されていることに気付き、それを「月並」とした。

知識による発想・使い慣れた語句の狭さ・流派的という同志意識などがそれをもたらしているとし、それらの俗調・繰り返し、結局頭で考えて作句からの解放として「写生」を提唱。

その路線でうまれた作品と認識している。それを原点としているということは、その延長線上に私の「俳句」の答があるということである。

 いずれにしろ、俳句を学び始めた頃に、子規のこの作品に触れ、この簡潔さ・平明さ・明瞭さ・印象の深さ・そこらにはない鮮やかさに感銘し、以後いろいろな時に、この作品を思ったり、迷えばここに戻ったりしての今日までである。

 子規に明治一八年作に次の作品がある。
  雪ふりや棟の白猫声ばかり

 「古今和歌集」凡河内躬恒作
  心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

などと同趣向である。子規もこの辺りから出発して、やがて「古今」を否定し「写生」に至りつくのである。原点の大切さを思い返している。 
  出典:『俳句稿巻一』明治三二年作(豊田 都峰)
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