★生まれ変わりました★ 

☆過去の呪縛から解放され "生まれ変わりました" 30歳(前世通算80歳)で心身ともにすこやかでありたいと願う!「転生記念日: 2013.9.2.」☆ 晩成(雅号) 敬白

日本酒

剣道稽古日誌 2013 (9)-(14)

( 9) 4/17 浮島道場
(10) 4/21 北鎌倉剣友会
(11) 4/23 大江戸地下道場
(12) 5/19 北鎌倉剣友会
(13) 5/21 大江戸地下道場
(14) 5/22 浮島道場

稽古をして、相変わらず右の下肢に痺れはあるが、もうこれが当たり前のような意識になってきた。「剣道」は普通に稽古を続けよう。

後は余談、日本酒のお話です・・・
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「七代目」なかなか美味しかった!

帰宅途中「成城石井」の日本酒コーナーを覗く。

「期間限定」入荷という表示が目を引いた! こんな宣伝文句に従い購入した。
帰宅して早速一合ほど味見・・・なかなか爽やかでくせのない、飲みやすいお酒。

ネットで氏素性を確認した。

清泉 七代目(きよいずみ ななだいめ)
「『清泉 七代目』、日本酒にそれほど馴染みのない方に日本酒のある食卓の魅力をお伝えする4・10月限定発売の新潟の日本酒です」

『優しい香りと爽やかで口当たりよい飲み口は、春は筍の土佐煮、秋はきのこ料理などの味覚にピッタリ、ビールや焼酎では味わえない旬の味覚を感じる食卓へと1ランクアップさせてくれます』

『七代目は、次期(七代目)当主の久須美賢和専務が、毎年テーマを決め、若手蔵人とともに自ら酒造りに携わっている銘酒です』
引用元:あるネットショップでの「七代目」紹介

久須美酒造について
 和醸良酒、「酒はその土地の米と水と人情と自然が醸す風」を信念に、良寛和尚が眠る田園地で丁寧な少量仕込で酒造りを行う久須美酒造。蔵裏手にある樹齢250年の杉山に地中深く染みこんだ雨水は、新潟有数の清らかな名水として蘇り、同蔵清泉(きよいずみ)の由来となっています。
 専務の久須美記廸氏(現社長)が幻の米亀の尾(かめのお)の種もみを探し出し、地元農家を説き伏せて有機栽培して銘酒亀の翁(かめのお)を誕生させた逸話は、漫画夏子の酒のモデルとしても有名です。(全品税込表示)
引用元

久須美酒造HP

一升瓶買った!

酔仙の純米酒本日、自らの晩酌用に日本酒を一升瓶で買った!

お酒売り場から、さてレジに持って行く決断をする前にしばし躊躇の時間あり。「一升瓶を買うこと」について。大げさに言えば、一升瓶買いは「私にとってある一線」を越える行動だった。

若いときお酒の弱かった私、自ら日本酒の一升瓶を買う姿を四十代まで到底想像できなかった!
やっと五十代半ばで、720ml瓶購入が定着したところだった。

昨年末に買った「久保田」の一升瓶は、正月に家族といっしょに飲むためのもの。今回は私の晩酌用。だいぶ意味合いは違うのです。
まあ、私の感慨はこの辺で・・・買ったお酒の記録。

「酔仙」の純米酒 1.8? 「芳醇にして飲み飽きない酒」とのこと
初日は、「熱燗」と「常温」でいただく、「常温」が美味しかった!

初代社長・磐井 篤平の同級生に佐藤華岳斎(1884〜1949)という酒豪の南宋画家あり。
その佐藤画伯【酔うて仙境に入るが如し】と讃え愛した酔仙酒造の酒は岩手の歴史ある南部杜氏が関わるお酒。
酔仙酒造では地元岩手の酒米である『吟ぎんが』を使用した酒造りを続けているとのこと。

蔵があるこの地は、大正時代から昭和初期マグロやカツオ漁で賑わい、全国各地から漁師たちが集まっていたそうだ。 その漁師たち、陸に上がった時の仲間との労いや、船上での楽しみとして愛した、酔仙の酒を各地に持ち帰ったとホームページにありました。 
酒に歴史あり!

酔仙酒造株式会社
〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町字大石1-1

年末年始にお酒を飲む心構え?!

「酒は微酔 花は半開」 適正飲酒は百薬の長です。
百歳以上の健康な長寿者の約六割は、毎日適量のお酒をたしなんでいる。「引用元」
適正飲酒のキーワードは 「2」 ビールなら中ビン2本、お酒なら2合、ウイスキーならダブル2杯!

ガン細胞の増殖を抑制する! よくぞ言った「酒は百薬の長」「引用元」
肝硬変や肝ガンによる死亡率に大きな地域差あり。全国のアルコール消費量を種類別に比較照合すると、東北地方を中心とする東日本、つまり、日本酒をよく飲む地方の人たちの死亡率が低いことが判明!
ヒトのガン細胞に日本酒の濃縮液を添加する実験を行ったところ、ガン細胞の増殖が著しく抑制された。
こうした結果は、ウイスキーやブランデーでは認められず、日本酒に含まれる何らかの成分がガン細胞増殖抑制作用を持つのではないかと考えたわけです。

日本酒は体を温め、皮膚の血液循環を良くし、肌に輝きとツヤを与えてくれます「引用元」
高砂部屋の力士を対象に、飲んだお酒の種類によって、体温がとのように変化するかを、サーモグラフィで調べてみました。
そうすると、日本酒を飲んだ時には他のアルコールを飲んだ時よりも長時間、体温が2度ほど高い状態が続くことがわかりました。

「日本酒の成分は、他のお酒を圧する種類があります」「引用元」
成分は神秘的。グイと盃を干せば、700余種の成分が壮大なロマンを呼び起こします。

「除夜の酒」
 文字どおり除夜の鐘を聞きながら、一年を振り返るとともに新年の誓いを新たにする「しめのお酒」です。おそばをツマミに、しみじみと日本人を実感したいものです。

「屠蘇・年酒」
 年頭に一家揃ってお祝いするお屠蘇は、もともと「蘇」という悪魔を「屠る」という意味で十種に近い薬草を浸した酒を飲むという中国の風習をまねたものです。日本では平安初期に宮中で行われ、やがて民間に広まりました。味淋に屠蘇散を浸すようになったのは明治になってからで、もともとはお酒を用いました。年賀の客は、初献に屠蘇を供し、後は酒にするのが正式です。こうして年始の客にすすめる酒を「年酒」といいます。

「新年宴会」
 年の始めにトシの神「正月様」を迎え、悪魔を払って新年を祝うという新年宴会。
トシの神とは、お米の神様、お酒とは切っても切れない関係でした。 戦前は1月5日は国民の祝日で、国を挙げて新年のお祝いをしました。この時に飲むお酒は、一年の計を定める「祈願のお酒」。 厳粛にいただくとしましょう。

「鏡開き」
 鏡開きは祭壇にまつった鏡餅を、お神酒と一緒に祝って食べる行事です。「餅を切る」とは縁起が悪いのでそ、の言葉の代わりに「開く」を使います。蔵元では蔵開きといって、新年に初めて蔵を開くのを祝う習慣もあります。転じて、おめでたい席で「日本酒の鏡開き」が行われます。酒樽のふたが丸くて平らなことから鏡と呼ばれます。樽酒は、杉の香りが楽しめますが、同じ樽から酌み交わすその仕草が、友情や親愛を深めます。

以上「日本酒読本」より[発行:日本酒造組合中央会]

我ながらよくぞ調べた、これでそれぞれの意義を考えながら年末年始、楽しく飲めますな! 皆様!!!

「並行複発酵」と「火入れ」

「日本酒は、お米を発酵させ造る醸造酒」
私にもわかりやすい説明としては次の通り
「こうじで米のデンプンを糖化させ、それを酵母の力で、アルコール発酵させたもの」 
いちようこれを覚えておけば、及第点らしい。

何より日本酒がすごいのは、遥か数百年もに昔に開発した、
★『「並行複発酵」と「火入れ」』
により高度で独特の方法で造られていること!

★日本酒は、遥か昔に開発された独特の製造法が現在にも生きている。 まずは「並行複発酵」、糖化と発酵を同時に進行させる高度な製造法。しかも、アルコール濃度が20度にも達する!こんなお酒は世界広しといえども日本酒だけ。もう一つ「火入れ」、1800年代半ばになってパスツールが発見した“殺菌法”に先立ち、すでに室町時代(1400年代)に行なっていたと記録にある。しぼった酒を貯蔵前に65度程度に加熱、殺菌し、酵素の動きを止め香味の熟成を図るのだ。

「日本人」我々の祖先はなんと素晴らしいんだろう! 「酒の歴史」


「お酒の造り方」の勉強!<「日本酒読本」 日本酒造組合中央会発行 より抜粋引用>

精米・蒸し米
酒造りは、原料となる玄米を精米し、蒸すところから始まる。 蒸し米はこうじを造り、酒母、もろみの仕込みに使う。


蒸し米に黄麹菌を植えてこうじを造り。こうじは酒母、もろみに入れ、米のデンプンを糖化していく役割を果す。

酒母(酛)
酒母は蒸し米、水、こうじに酵母を加えたもので、もろみの発酵を促す酵母を大量に培養したもの。
日本酒造りには、良い酵母が大量に必要、文字どおり「酒の母」。

もろみ(造り)
この酒母にこうじ、蒸し米、水を加えてもろみを仕込む。このもろみがやがて原酒に。

段仕込み
ここで日本酒造りの特徴、三段階に分けて仕込む「段仕込み」を行なう。
一日目は初添え。翌日は仕込みはお休み。酵母はゆっくりと増えるが、これを踊りと称す。
三日目に二回目の仕込み(仲添え)をし、四日目に三回目の仕込み(留添え)をして完了。
段仕込みは、雑菌の繁殖を抑えつつ酵母の増殖を促し、もろみの温度管理を容易にする独特の方法。

新酒誕生
二十日ほどかけて発酵を終えたもろみは圧縮機で搾られ、酒と酒粕に分けられる。
搾りたての新酒は、ろ過、加熱(火入れ)し、そして貯蔵される。
精米から、並行複発酵、段仕込みというとても複雑な工程を経て、約60日間をかけて、日本酒は誕生する。

磨き上げたお米が命
日本酒造りにでの精米、70%程度磨き、特定名称酒だと60〜50%も磨き上げる。
これは良い日本酒造りの妨げる、外側のタンパク質や脂肪、灰分などを除去、中心部分のデンプンをより多く使いたいがため。
さて、酒造好適米と呼ばれる、お酒を造るのに適したお米。
日本酒造りに、一般の米も使うが、酒造だけに使うのが「酒造好適米」。
米粒が大きい、タンパク質の含有量が少ない、水を吸いやすく糖化性がいい、さらに心白率が高く、蒸し米を長く冷却しておいても、もろみの中で溶けやすいなどの特徴を持つ。

良水が銘酒を生む
日本酒造りには、水がとても大きな意味あり。 洗米、仕込み、瓶詰め用と、原料米の重量の20〜30倍の水が必要で、中でも仕込みに使うと水、そして割水といって最後に加える水の質が重要。
これには醸造用水といって、特別の水質基準を満たした水が使われる。
醸造用水は、味、におい、濁りがないことは絶対条件で、さらにこうじ菌や酵母菌の発育に必要なミネラル分が適度に含まれており、酒質劣化の原因となる鉄分やマンガン、有機物が少ないことなども大切な要件となる。

最後は、人の技術が決め手
日本酒造りには多くの技術者が関与する。その技術者集団を酒造技能者(蔵人)と呼び、その長が杜氏といわれる最高責任者。 杜氏は、リーダーとして酒造りの各過程の専門技術者たちを統率し、酒造りの全責任を負う。
つまり、良いお米と良水を得て、最後は杜氏の技が日本酒の味を決定するというわけ。

日本酒造りが寒造りになって以来、各地の酒蔵は冬場の働き場として次第に定着。そうした中で、杜氏になる人は一家の長やその地方の有力者が多く、その人が中心となって知人や縁者を集め、 蔵で働く人々を組織化していった。さらに酒造りの技を研鑽し、次第にその集団独自の技術を誇るようになっていった。 それが今日、全国各地で形成されている「○○杜氏」と呼ばれる技術者集団である。 毎年、酒造りの季節になると、杜氏は蔵人を組織し、蔵元へ赴き、十月からほぼ半年の間、同じ蔵で寝食をともにしながら、日本酒造りに励む。

「杜氏」の故郷にご縁あり

次の「杜氏の流派と分布」 より抜粋引用 

日本3大杜氏は岩手の「南部杜氏」、新潟の「越後杜氏」、そして「丹後杜氏」
南部杜氏はその数は372名と全国最多を誇り、杜氏数は全国最多。酒造り盛んな岩手の杜氏。南部杜氏のふるさとは、岩手県の石鳥谷町。県内でも優良な穀倉地帯として名高く、酒造りも盛ん。

続く、新潟の越後杜氏は281名と該当ネットにあります。はじめて組織が結成された昭和33年当時は900名を越えていたそうです。

「丹波杜氏」は灘の酒を醸して250年。ある記録に「宝歴5年(1755年)、篠山曽我部の庄武右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となった」という記録があり、これが丹波杜氏のはじまりといわれています。江戸の時代から名高い灘の銘酒を支えるのは、この丹波杜氏。現在、杜氏数は55名。

さてさて該当のネットサイトでの「びっくり発見」は、なんと私の本籍地「越智郡宮窪町(現在の今治市宮窪町)」も杜氏の里であるということ!

「越智(おち)・伊方(いかた)の両杜氏が活躍」とあり「四国一の杜氏の宝庫」と書いてあるではないか!!
四国の3大杜氏は越智杜氏・伊方杜氏・土佐杜氏。そのうち、前者ふたつは愛媛県出身。越智杜氏は越智郡宮窪町、伊方杜氏は西宇和群伊方町を拠点とし、それぞれ技術の向上を目指して越智郡杜氏組合、西宇和群杜氏組合を結成しています。杜氏の人数は、それぞれ9名、22名。県内を中心に活躍しています。

9名か・・・まさに、日本酒の消費量減少とともに、跡継ぎもいなくなっているんだろうな・・・

そもそも、参考にさせていただいたサイトは福岡にある蔵元「繁枡」のHPにあった情報。
この蔵元、創業1717年(江戸時代享保2年)とある、老舗だ!

杜氏」 (酒造りの最高責任者)
頭役」 (杜氏の補佐役)
麹師」 (麹を造る)
もと回り」 (酒母を造る)
精米師」 (精米を受けもつ)
釜屋」 (蒸し米を造る)
船頭」 (もろみ搾る)

酒造りには上記のように呼ばれる人がいて、それぞれ仕事を分担している。
一人前になるには、最低でも10年はかかるとあります。

お酒は1年に1度しか造れないから、10回の経験が最低必要ということですね。

日本人自身で、日本の文化伝統に根ざした、こんな立派な職業を支えなくてはいけないな。
私は飲む側として、よ〜し、今夜も積極的に?協力するぞ!!!(笑)

美味しい日本酒をいただきながら・・・

日本においても酒の歴史は古いが、いつ頃から米を原料とした酒を造るようになったのか?
酒造りの酵母は生き物であり、アルコールも蒸発してしまうから、考古学的手法では日本酒の起源に関する研究は進んでいないそうだ。
しかし、稲作、とりわけ水稲の耕作が定着し、安定して米が収穫できるようになり酒造りも定着しただろうということは容易に想像されます。
参考サイト) 

先日訪問した伏見にも、脈々とこの伝統が受け継がれてたが、華々しく開花したのが安土桃山時代。天下統一を果たした豊臣秀吉の伏見城築城とともに城下は栄え、伏見は京・大阪・堺に次ぐ、人口6万人の大都市になった。

酒の需要も飛躍的に増加して、伏見の酒づくりにも拍車がかかったようですね。

酒一升(1.8リットル)を造るのに、八升の水が必要で、良質で豊富な地下水は酒造りには欠かせない条件だそうです。伏見はかつて「伏水」と称したほど、良質で豊富な地下水に恵まれた地。桃山丘陵に磨かれた清冽な水が地下深くに今も脈々と流れているのでしょう。

三千院前のお店で「ここでしか買えまへんえ」と薦められた、大吟醸純米酒「おのみやす」昨晩も、地元剣友会の小学生諸君が、鶴岡八幡宮の菖蒲祭剣道奉納試合で奮闘したとの、たよりを旅先で知り、一人祝杯をあげたわけでございます。 

酒良し、気分好し、最高です。


日本酒のいわれ
伏見「月桂冠」サイトより引用

古代日本人は「サケ」という言葉の他にいろいろな呼び名を使っていました。
「古事記」「日本書紀」「万葉集」などの古い書物を見ればサケの他に「キ」「クシ」「ミキ」など様々な呼び名が用いられています。

なかでも「キ」は一番好んで用いられた呼び方で、古代食べ物、飲み物のことを「ケ」と言い(今でも「あさげ、ゆうげ」などの言葉が残っています)この飲食物の「ケ」から転化して「キ」になったと言われています。
「キ」に敬称を付けて呼んだのが神酒、御酒(みき)、御神酒(おみき)です。

他にも「古事記」「万葉集」「日本書紀」などの古書には祝酒(ほき)、黒酒(くろき)、白酒(しろき)といった言葉がよく使われています。

「クシ」は古事記では久志、具志と記されいて「クシ」は奇し、または怪しで、不思議という意味です。酒を飲むと酔いという不思議な状態になることを表していると思われます。

「酒」をサケと呼ぶようになったのには「栄え水」が「サカエ」となり「サケ」になったという説と、「栄えの酒(サカエノキ)」からきたという説があります。

古来、酒を造ることを「醸す(かもす)」といいました。
「醸す」は「噛む」から転じた言葉で、炊いた米を口で噛んで壷の中に吐きためて唾液の糖化作用を利用して酒を造った「口噛み酒」からきています。

酒を醸す役目はもっぱら女性の役目でした妻を「カミサン」と呼ぶのはこの「かむ」からきたといわれています。

また「キサキ(后)」も「酒栄き(きさき)」から出た語で神への供物にするために良い酒が仕上がるように祈る意味が込められています。
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